5.戦後の新教育(昭和20年〜26年)
 昭和20年8月15日、我が国は戦に敗れ、その後、数年間占領下にあって軍国主義や極端な国家主義教育の排除が進められた。21年にアメリカからやって来た教育使節団によって6・3・3・4の教育体制がしかれ、わが国にも教育刷進委員会が組織され新教育として個人の尊厳を中心にすえた教育たてなおしが進められた。幾多の困難や混乱を乗り越え、教育基本法、学校教育法が戦後の新しい教育理念として制度的な骨組みとしてかためられ日本人の手によって新しい日本の子どもを育てていこうとして出発した。
玉音放送を聞く人々の様子
●長浜市立北郷里小学校の出発
 昭和22年4月、戦時色濃い国民学校という校名は、長浜市立北郷里小学枚と改められることになった。同年に6・3・3制、男女共学等の新しい民主的な教育制度が発足した。これまでは、男女別のクラス編成が普通であっただけに共学のよろこびは大きかった。
黒塗りの教科書
●子どもたちに給食
 終戦直後の物資不足、食料事情の悪さは、子ども達の生活にも大きな影響を与えていた。本校では、弁当の持ってこられない子ども達に対して、後援会はひとにぎり運動をはじめるようになった。欠食児童にパンが特別に給与され、まもなく副食給食が開始された。主として、魚類、缶詰で野菜は、一部学校の農場で実習として栽培され、足りない分は、各家庭から持ってきたものでつくられた。
 占領軍からの救援物資として送られてくる脱脂粉乳には、子どもも親も「なにか特有のにおい」(M氏)はしたが、感謝して飲んだのだった。昭和26年には、専任の調理員さんが入られて、PTAの協力も得て、より充実したものとなり、完全給食(ぼくも、わたしもみんなおなじお弁当)が開始された。給食費は、一食7円50銭程度、毎月の給食費は150円程度であった。
給食用菜園農場で働く子どもたち
初めての副食給食
●情操豊かな子をめざして
◇楽しい映画会
 毎月一回、映画会を催して視聴覚情操教育に力をいれた。「鐘のなる丘」「三太がんばれ」「路傍の石」「笛吹き童子」「のんちゃん雲にのる」などの映画が子供達によろこばれた。
◇みんなの力で美しい音楽を
 先生のひかれるオルガンに合わせて歌をうたうだけであった音楽の時間に合奏がとりいれられるようになった。みんなと力をあわせて楽しい音楽を創り出すことに力がいれられた。
合奏練習
◇楽しい行事・学芸会
 日頃の情操教育の成果である合奏、斉唱、合唱、劇、遊戯、舞踊などが丸一日、お父さんやお母さんたちの前で発表された。子ども達にとっては最も楽しい行事のひとつであった。
学芸会
◇全校朝会の中で
 毎週月曜日に全校朝会が行われた。校長先生から全校生徒700名にむかって直接話をされる合同学習の場であった。朗読会、発表会、表彰児童自治係からの目標発表等が行われた。
全校朝会
◇みんなでつくる校内放送
 毎日昼休みが終わった午後の学習時間の始め15分間、1年生から6年生まで交替で音楽、お話、劇、朗読、ニュースなどのプログラムが組まれて、全校に放送された。
校内放送
情操教育研究大会記念の中庭の池